医療技術の高度化や、社会の高齢化に伴う患者さんの病態の多様化など、医療を取り巻く環境が複雑化する昨今、医療安全への取り組みはますます重要性を増しています。医療機関において、患者さんの安全を守り、医療の質を向上させるために中心的な役割を果たすのが「医療安全管理者」です。医療事故の防止はもちろん、組織文化の醸成や教育など、安全な医療の提供を組織的に推進する専門職として、その存在は不可欠となっています。
この記事では医療安全管理者の概要や役割、資格要件・養成研修について紹介します。

執筆者:三田 大介
医療安全管理者とは
「医療安全管理者」とは、医療安全に関する計画の立案・実行、職員への教育・指導などを通して、医療機関における医療安全対策の中心となる存在です。厚生労働省は、以下のように定めています。
医療安全管理者とは、各医療機関の管理者から安全管理のために必要な権限の委譲と、人材、予算およびインフラなど必要な資源を付与されて、管理者の指示に基づいて、その業務を行う者とする。
厚生労働省「医療安全管理者の業務指針および養成のための研修プログラム作成指針」(令和2年3月改定)p.4より引用
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000898761.pdf(2025年6月5日閲覧)
医療安全管理者になることができるのは、医師だけではありません。看護師、薬剤師、臨床工学士、リハビリテーションスタッフ、事務職員など、さまざまな職種の方が医療安全管理者として活躍しています。
病院横断的に活動するため、背景職種によらず幅広い知識や高いコミュニケーション能力、リーダーシップ、問題解決能力などが求められます。
医療安全をめぐる歴史
ここで、医療安全に関する歴史をたどってみましょう。
日本で医療安全への意識が高まるきっかけとなったのは、1999年ごろに立て続けに発生した複数の医療過誤事例でした。最初に発生したのが、横浜市立大学附属病院での患者取り違え事故です。心臓手術を予定されていた患者さんと、肺手術を予定されていた患者さんが間違えて手術室へ移送され、それぞれ異なる部位の手術が施行されてしまいました。講義や研修で聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
この事故を機に、医療現場における安全管理体制の重要性が改めて認識されるようになります。厚生労働省は2001年を「患者安全推進年」とし、省内に医療安全推進室を設置、医療安全対策検討会議を立ち上げました。
2006年、「良質な医療を提供する体制の確立を図るための医療法等の一部を改正する法律」の成立により、医療安全を確保するための「医療機関の管理者に課される義務」が定められました(第5次改正医療法)。次いで設置された「医療安全管理者の質の向上に関する検討作業部会」において、医療安全管理者の業務内容や研修プログラムが整備されていきました。
医療安全管理者と医療安全推進者との違い
医療安全管理者と似た名称として、「医療安全推進者」があります。こちらは日本医師会が、医療安全に関する教育・人材育成を目的に設けている養成講座で、医療法で定められている医療安全管理者とは別物です。
しかし「医療安全推進者」も、組織的な医療安全に関する知識・技術の習得を目指せる点で共通します。医療事故や医療紛争の背後にある本質的な問題に適切に対処できる人材育成が目指されており、主な業務は患者安全対策プランの策定、リスクマネジメントの実行、説明責任への対応に向けたコーディネート、医療安全管理のモニタリングなどです。患者さんの安全を確保する体制の確立と医療機関におけるリスクマネジメントが基本であり、医療機関側から患者さんとうまく橋渡しをする役割とも言えます。
主な医療安全関連の経緯|厚生労働省
横浜市立大学医学部附属病院の医療事故に関する中間とりまとめ|横浜市立大学
第164回国会 制定法律の一覧「良質な医療を提供する体制の確立を図るための医療法等の一部を改正する法律」|衆議院
医療安全推進者の職務|日本医師会
日本医師会医療安全推進者養成講座|日本医師会
医療安全推進者ネットワークとは|日本医師会 医療安全推進者ネットワーク
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医療現場のコミュニケーションは何のため? ~システムで医療安全を守る~
医療安全管理者の役割・業務内容
医療安全管理者は、医療機関の管理者から移譲された権限の範囲で、さまざまな活動を行います。組織全体を俯瞰して、安全に対する意識や文化を醸成し、各委員会やチームが円滑に活動できるよう支援することが大きな役割となります。
主な業務内容には、以下のようなものが挙げられます。
- 職員教育・研修の企画・実践
- 医療事故の発生を防ぐための取り組み(情報収集・分析、対策立案、フィードバック・評価など)
- 医療事故発生時の対応 など
1.職員教育・研修の企画・実践
まずは、職員に対する教育・研修への対応です。職種横断的で部門を超えた連携がとれるよう、企画から実施後の評価・改善までを担います。
研修は単なる座学ではなく、参加型となるよう実践的な学びを提供する必要があります。
【研修内容の例】 |
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a.医療の質の向上と安全の確保に必要な知識と技術に関する研修 |
厚生労働省「医療安全管理者の業務指針および養成のための研修プログラム作成指針」(令和2年3月改定)p.5より引用
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000898761.pdf(2025年6月5日閲覧)
2.医療事故の発生を防ぐための取り組み
医療事故の発生・再発防止のために情報を収集し、院内に提供することが重要な業務の一つです。インシデントレポート(ヒヤリ・ハット事例報告)で、患者さんや職員の属性・発生状況などを分析します。
起こった事例を分析する過程は、個人を攻撃するわけではなく、組織として安全を確保できるよう、システムを見直すことが目的です。インシデントレポートを提出しやすく、改善策を実行しやすい空気づくりも重要と言えます。
分析にあたっては、患者さんや家族からの相談・苦情・満足度調査の収集、院内巡視などの情報も資料とするほか、厚生労働省や日本医療安全調査機構といった院外の情報も取り入れなければなりません。集めた情報をもとに院内対策を立て、必要時に見直しをする一連の対応が求められます。
3.医療事故発生時の対応
医療事故が発生した際には、医療安全管理者は病院管理者とともに、対応にあたります。医療対話推進者や医療事故調査委員会など、院内の他組織との連携も必要です。具体的には医療事故現場の調査・事実確認、患者さん・家族への説明、問い合わせ対応などがあります。
医療安全というと「患者さん・家族に対する安全確保」をイメージしますが、医療事故発生時は関与した職員の精神的支援も重要であり、医療安全管理者の業務の一つです。
事故情報を分析した後は、再発防止策を検討します。対策後の成果も評価しさらなる改善策につなげます。
何より重要なのは、医療事故が発生・再発する前から、事故発生時の対応フローを作成・周知しておくことでしょう。緊急を要する内容は何か、どのように報告を進めるのかなど、平時からの準備も医療安全管理者に求められる業務です。
医療安全と施設基準・診療報酬とのかかわり
医療安全対策は診療報酬上でも推進されており、以下のような加算項目が設けられています。いずれも各医療機関の医療安全体制構築を目的とするもので、診療報酬改定時にもたびたび変更が見られます。
- 医療安全対策加算(医療安全対策の評価)
- 医療安全対策地域連携加算(医療安全対策に関する医療機関の連携に対する評価)
- 医療機器安全管理料(医療機器安全管理の評価)
- 患者サポート体制充実加算(患者等からの相談に対応できる体制を評価)
- 報告書管理体制加算(報告書の確認漏れを防止する体制を評価)
出典:厚生労働省「医療安全施策の動向について」p.51(一部引用)
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001058837.pdf(2025年6月5日閲覧)
たとえば、「医療安全対策加算1」では専従の、「医療安全対策加算2」では専任の医療安全管理者の配置が求められます(施設基準あり)。入院症例すべてに算定できるので、医療安全だけでなく経営という点でも有用な加算です。
医療安全管理者になるには
医療安全管理者の資格要件(認定条件)
医療安全管理者の認定を受けるには、病院の管理者からの任命に加えて、「医療安全推進者養成研修」を受講する必要があります。
医療安全推進者養成研修は、全日本病院協会や日本看護協会など、複数の団体が実施しています。先述した診療報酬との関係もあり、どの研修も40時間以上で構成されています。オンデマンド形式を取り入れている団体もありますので、空き時間にあわせて受講することも可能です。
認定期間の設定は各団体によります。たとえば全日本病院協会が認定する医療安全管理者(全日病・医法協認定 医療安全管理者)の場合、基本の認定期間は5年間であり、所定の要件を満たすことで、5年ずつ更新していくことができます。厚生労働省が医療安全に携わる人への継続的な学習を求めていることから、認定・更新を設定していない団体も学習機会の提供をしています。
医療安全管理者養成課程講習会|全日本病院協会
医療安全管理者養成研修|日本看護協会
2025年度医療安全管理者養成研修_申込ページ|医療の質・安全学会
JQ医療安全管理者養成研修|日本医療機能評価機構
2024年度医療安全管理者養成研修のご案内|日本医療安全学会
医療安全管理者としての医師のキャリア
医療安全管理者はさまざまな実務を担当するため、臨床医の道と兼務する場合は業務負担を強く感じることがあるでしょう。しかし医療安全管理者は、患者さんと病院職員の安全を守る立場であり、やりがいは大きいと言えます。
医療安全管理者の認定を受けたからといって、直接的に昇進・昇給が起こるとは限りませんが、病院の医療安全の総括的責任を負うのは「医療安全管理責任者」であり、副院長などの重職についている人が務めることが多いようです。医療安全管理者として実績を積めば、そういった役職につける可能性も広がるかもしれません。
臨床現場に限らず、医療安全管理者の経験を活かしたコンサルティング業務、医療安全に関わる企業・団体での勤務・兼業など、医師としては特殊な働き方も考えられるのではないでしょうか。
まとめ
医療安全管理者は、医療機関の安全管理体制の要として、日々の活動から事故発生時の対応まで、病院横断的に幅広い業務を担います。将来、医療の需要や形が変わっても、医療安全という視点がなくなることはなく、むしろ重要性は年々増していると感じます。興味がある先生は、自身と周囲の安全のため、医療安全管理者をとっかかりに医療安全に関するさまざまな業務・役職にも目を向けてみてはいかがでしょうか。